コロナ禍で思うように動けなかったエンターテインメント業界も、
ようやく通常のスタイルに戻りました。
熊谷育美に佐賀県佐賀市富士町が開催するコンサートの出演打診があったのは、2021年3月。
しかしコロナ禍は収まることなく、9月開催に向けて動いていたコンサートは延期。
再度2022年3月開催を目指すも、新たなオミクロン株の流行で中止に……。
ただこの時、主催者から育美の元に届いたメッセージには、
「必ずまた企画します。古湯に歌を歌いに来てください!」
その熱い思いが、先日開催された「絆コンサート」として実現しました。
遠く離れた九州・佐賀県と東北・気仙沼――。
そのつながりは、育美のデビュー当時に始まり、
そして佐賀のみなさまが思いを込めた気仙沼へのピアノ寄贈。
育美の音楽活動に欠かせないピアノが、佐賀と気仙沼を繋いでいます。
■佐賀と気仙沼
東北・気仙沼から1,600キロ、遠く離れた九州・佐賀。
育美はデビュー直後、K M P(九州沖縄音楽プロデューサー会議)の推薦歌手に選ばれました。
K M P推薦歌手とは、毎年プッシュする歌手をポップスと演歌の2部門で選出し、九州エリアの各局で選出された歌手を局をあげて応援してくれるというもの。このKMPがきっかけで、九州へ(佐賀県へも)頻繁にお邪魔するようになりました。
4枚目のSingleとしてReleaseされた『雲の遥か』のマスタリングが完成したのは、2011年3月10日の震災前日。しかしマスタリング作業前にラジオオンエア用の“ラジオミックス”音源がいち早く完成し、『雲の遥か』がはじめて電波に乗りオンエアされたのも佐賀県でした。(2011年2月28日 NBCラジオ佐賀「ラジDONぶり」)
『古湯の森音楽祭 ~古湯から東北へ~送ろう元気、届けよう心、つなげよう命』と題したチャリティー音楽イベントが開催されたのは、2011年9月11日。主催メンバーのひとり山口勝也さんが、ラジオから流れる育美の楽曲を聞き、声をかけていただき参加することができました。
まだ震災から半年――。気仙沼の状況を佐賀のみなさんにお伝えしたご縁が、今回の『古湯の森音楽祭〜絆コンサート』にもつながっています。
一方佐賀県では、被災した気仙沼でピアノが使えない学校がたくさんあることを知り、「佐賀きずなプロジェクト」を設立。被災地支援の一環として11、12年度に、義援金付き「プレミアム商品券」を販売。集まった約9,200万円の義援金で、世界的にも有名なSTEINWAY社製のグランドピアノを含む、ピアノ計24台を気仙沼市内の保育所や幼稚園、学校や会館などの公共施設に寄贈いただきました。
「あの震災では、全国・世界中から被災地へたくさんのご支援をいただき、とてもありがたかったですね。
その中で佐賀県からは、子どもたちの未来のためにと、気仙沼市にピアノを寄贈して下さいました。
震災によって、学校にピアノがある普通の風景や、みんなで歌うこと、音楽を愉しむこともなくなってしまっていましたから。佐賀県民のみなさまから贈っていただいたピアノは今現在も、気仙沼市内の学校や市の会館で美しい音色を響かせています。やっぱりグランドピアノって特別なものだと思うんです。
そこに、ピアノがあることで人の輪ができる。みんなが笑顔になる」
■思いをつなぐ
13年3月に<はまなすホール>(気仙沼市本吉町)で開催された熊谷育美ソロコンサート「光」は、佐賀県民のみなさまより寄贈していただいたピアノのこけら落としコンサートでもありました。佐賀県職員(当時)の田中裕之さんが佐賀県民を代表してピアノプロジェクトに込めた想いを涙ながらにステージで読み上げてくださいました。
そして16年11月17日には、「気仙沼市市政施行10周年記念式典」(気仙沼市民会館大ホール)でも寄贈されたピアノで育美は『雲の遥か』を歌唱。育美と気仙沼中学校3年生の混声合唱で『気仙沼讃歌』を披露しています。
佐賀県では、2021年3月に「東北の未来へ。佐賀からエールを!3.11 東日本大震災 復興祈念写真展2021」(主催:佐賀県)を開催。 その企画内では、気仙沼の人々へ1,424枚もの応援メッセージが寄せられました。
佐賀県の県花である「くすのき」の葉をイメージしたメッセージカード『ことのは』は佐賀県から贈呈され、同年7月に気仙沼市役所ワン・テン庁舎でも展示されました。
■佐賀から気仙沼へ
途切れることなく続いている、佐賀と気仙沼との縁。
2023年9月3日、佐賀市富士公民館(フォレスタふじ)で「佐賀から気仙沼へ『絆コンサート』」が開催されました。
出演者は、ピアノ弾きの3名。
佐賀市の漁師歴40年のベテラン海苔漁師・徳永義昭さんは、52歳の時にテレビで見たフジコ・ヘミングの演奏をみて、独学でピアノ練習を開始。その上達は素晴らしく、フジコ・ヘミングとの共演も果たしています。
福岡県出身のシンガーソングライター・武下詩菜さんは、6歳でクラシックピアノを習い始め、16歳の時には作詞作曲。フリーライブや大会で実績をつみ、15年1st single『走馬灯』をリリース。活動10周年にはワンマンライブを開催しています。
そして、気仙沼市出身在住の熊谷育美。
コンサート会場となった富士公民館ロビーには、気仙沼から届いた感謝の手紙や写真が展示され、約180人の聴衆が歌とピアノの演奏に耳を傾けました。
「佐賀にはこれまでに7、8回行きましたが、訪れるのは7年ぶりぐらいになります。
会場に入ったら、宮城県人会さがのみなさんが宮城の物産展をやってくれて、
みなさんの気合っていうか、本当にいろいろ準備してくださったんだなぁって、熱い思いが伝わってきました。
もちろん私も気合は入れて行きましたが、さらに気が引き締まる思いでしたね。
とにかく、みなさんウェルカムモード。
温かい拍手と笑顔で迎えて下さり、「佐賀県に帰ってきた!」っていう感じが強かったんです。
海苔漁師の徳永さんはお話も楽しくて、しかもマジックもお得意!
開演前に楽屋前で披露してくれて、とっても気持ちが和みました 笑
演奏にも聞き入ってしまいました!
武下さんの歌声も素晴らしく、引き込まれましたね。
もちろん初めての共演だったけれど、初めてとは思えないぐらい。
主催者と共演者がひとつになり、ひとつのステージをつくり上げた感覚がありました 」
主催者のこだまの富士(さと)倶楽部 山口勝也さんメッセージ
ピンポイントな出会いがキャンパスに無事におさまった感じがあります……。
人というのは、日々の生活の中で過去を忘れていくという事は致し方の無い事と思います。震災前に佐賀のFMラジオ局に来て気仙沼の話をされていた熊谷さんをたまたま聞いていた私とラジオ局の方が知り合いだった事、3月11日に起きた震災の後に是非、佐賀に来て古湯に来て気仙沼で起きた事をこの1600km離れた佐賀で語って欲しい、歌って欲しいという衝動に駆られた事も事項としてはピンポイント。
九州ではその後、熊本を中心とした地震災害が起きているので、九州の人間に熊本より東北の事を思って下さい……と言うのは無理な事。しかしながら佐賀県行政が気仙沼市に対して実施してくれた「絆プロジェクト」や「ピアノプロジェクト」はこれまたピンポイントな事項なのかも知れない。しかしながら、はまなすホールで佐賀県民が贈ったピアノを弾いてくれたのが「熊谷育美」さんであったことは、このキャンパスに鮮やかな色あいで絵を描き上げてくれました。私達はそのピンポイントを線で繋いだだけ……。このピンポイントを打ってくれた佐賀県に心から感謝しますし、佐賀県民である事に誇りを感じた次第です。
ピアノというピンポイントな素材を考えてみても、佐賀の海苔生産者が私達の町「富士町」に20年間、植樹活動を私達の団体と一緒に実行してくれていて、その一人が全国的なテレビ番組にて取り上げられ話題となっていた事も、今回のコンサートに熊谷さんとはひと色違う絵を描き上げてくれました。
互いに海に生き、海と歩く町の人同士が奏でる歌を楽しめたのも参加したお客様は喜んでくれ、楽しんでお帰りになりました。熊谷育美さんが届けてくれた「出会い」に心から感謝し、これからもよろしく……とお伝えしたい。佐賀県と気仙沼市のおつきあいと共に……。
環境保護ボランティア団体
こだまの富士(さと)倶楽部
代表 山口勝也
宮城県人会さが代表 富田万里さんからメッセージ
「生まれも育ちも仙台で結婚後佐賀在住である私にとって、ここ佐賀とふるさと宮城がつながることはこの上もない幸せです。私が代表をつとめる「宮城県人会さが」は、震災後12年間「ふるさと宮城のためにできることを」をモットーに宮城各地との交流を積み重ねてきましたが、この度ついに思いを寄せていた気仙沼ともつながることができました。
佐賀県から気仙沼に贈られた24台のピアノの話を知り心があたたまり、そして歌姫熊谷育美さん出演の絆コンサートにて、主催の「こだまの富士倶楽部」さんの計らいで、宮城県産品販売で関わることができたこと、忘れられない1日となりました。育美さんの生歌を聴き、ますますファンになったことは言うまでもありません。ただ今こちらの仲間たちと「気仙沼に行こう!」と盛り上がっています」
(宮城県人会さが 富田万里)
■佐賀でのライブを終えて
「佐賀市の富士公民館は木の香がする会場で、音響も素晴らしく、演奏にもすごく集中できました。
終演後には佐賀県にゆかりのある共演のみなさんと『今度は気仙沼で一緒に、寄贈していただいたピアノを弾きたいですね』って盛り上がっていました。
本当に、ピアノがつないでくれた、まさしく絆コンサートでした!
〈絆コンサートin気仙沼〉ぜひ、開催できたらいいなあ。
改めて佐賀県民のみなさまへ感謝をいたします」
構成・文/藤川典良