Kesennuma

音楽のUbgoe vol.1 〜ボーカル録音と二人の出会い〜

前回の『気仙沼とわたし』で、「楽曲制作では、極寒の日に真夏の曲を書いて空想上で季節を自由に操れるのですが……」と話してから、暦の上では立夏も過ぎ、仙台では3年ぶりに青葉まつりも開催。気仙沼・徳仙丈山のツツジも早く行かないと見頃が過ぎそう。新緑と空の青さが眩しい季節がやってきました。

その間、熊谷育美はというと……、テレビのロケやライブも行いつつ、4月10日のSNSでお伝えしたとおり、新曲のレコーディングを行いました!!!

 

今回の気仙沼とわたしは、<音楽のUbgoe>と題して、新譜のボーカルレコーディングディレクターを務めていただいた頼れる兄貴・坂本サトルさんとの対談でお届けします。

ちょっとディープな音楽の話から二人の出会い、曲づくり、新曲の話題などなどを、前後編でお届けします。

 

■出張録音 in 仙台

 

サトル 

育美ちゃんに新曲のボーカルディレクターの依頼を受けて、録音は青森の僕のスタジオで録ろうという話もあったけど、tbc東北放送の新社屋グランドオープン式典に育美ちゃんも僕も行くことになっていたのでそのタイミングで録ろうと。僕はよくやるんだけど、今回も部屋だけ借りて、僕が機材を持っていくことにしました。

 

育美

本当に頼れる兄貴。tbc復興応援ソングプロジェクトの『10年後の僕ら』も、全部のパートをサトルさんが自分で歌って、一人一人のために用意してくれて、めっちゃ助かりました。

 

サトル

説明過多なんです(笑)。

 

育美

今回も甘えて、車に機材を積み込んで仙台まで持ってきてもらって。ほんと、すみません。

 

 

サトル

先日の録音はブースだったけど、いつもは僕がボーカル録るときは、仕切らずに本人の隣で作業するんです。当然、咳も物音も立てられないけど。マイクとの距離はものすごくシビアで、もうちょっとだけマイクに近づこうとか隣にいるとすぐに指示ができる。

 

育美

私も訓練しました。

 

サトル

育美ちゃんは、メジャーデビューした時にマイクの使い方も訓練したと思うけど、今は自己流ゆえの面白さがもてはやされてる感じですよね。グラミー賞を獲っちゃうような人もベッドルームでレコーディングしちゃうというのもあるし、世界的な風潮なんだけど……。

マイクにも特製があって、ライブで使うSHURE(シュアー)S M58は、近づくほど近接効果で音に迫力が出るマイクの特性があるから、離して歌うとダメ。そういうのをバンドマンはみんな知ってるから、マイクにベタつけで歌うわけなんだよね。あれはミュージシャンの癖じゃなくて、あれが一番いい音が出る。

一方、レコーディングで使うようなコンデンサーマイクは、近づきすぎると中のダイアグラムっていう薄い膜が触れすぎると音が歪んじゃうからある程度離れないとダメ。それをメジャーデビューしたら学んでいく。

 

 

育美

今回のレコーディング中も、歌い方やブレスの位置もサトルさんが整理してくださいました。

 

サトル

ブレスの位置で、歌詞が聞き取りにくくなったりするんだよね。

 

育美

コーラスラインも、確認しながらイチからやっていただいて。レコーディングも楽しかったですし、誰が歌を録ってくれるかというのは、すごく重要。やっぱり、信頼できる人じゃないと。私は歌うことに全集中して、サトルさんが歌のジャッジはしてくれる。もう一回録ろうかと思ってたら、サトルさんに『O K、もういいよ』と言われて……。

レコーディングはやっぱり、今の自分を記録してくれるものだと思うので。エンジニアもいない状況で、サトルさんがエンジニア兼ディレクション、すべて担当してくれました。すごいなと思うのは、長年やってきていて、デジタルに変わった瞬間ってあったと思うんですよ。そこを自分で学んで、乗り越えてきた方。だからレコーディングも自分でできちゃう。

 

サトル 

でもね、レコーディングにおけるデジタル化って何かというと、もともとカセットテープに録ってたものが、ただデジタルに置き換わっただけで、原理的にはほとんど変わんないのよ。昔の、1950年代60年代のマイク1本だけ立てて、みんな一斉に演奏する一発録りしかなかった時代から、それがステレオになって、4トラックになって、ビートルズで8トラックになって、16になって、48になって、今は無限なんだけど。全部繋がってるから、イチから何か勉強するってことでもないんだよね。高校生の頃からラジカセ2台繋いで、一人でダビングしながら多重録音していたものが、それがどんどん機材が安くなって、やがてデジタルになってパソコンになって。30年前の機材の値段より、今は1/100だからね。1億かかったものが今は100万円でできちゃう。

 

 

■二人の出会いと太鼓判

 

育美

サトルさんと出会ったのはNHKのイベント。よくサトルさんの曲を聴いてたから私、めっちゃ緊張しまくってて。

 

サトル

あれは震災のギリ前。2010年の12月。終わって、飯食いに行ったよね?

 

育美

会食があって……。あの時サトルさんと初めてお会いしたんですけど、どんな印象でした?

 

サトル 

今も、新人の子たちに会うとそうなんだけど……、ようこそ、この業界へ、くらいの。あぁ、また新しい人が入ってきた。長く続くのかな、やめちゃうのかな、わかんないけど、とりあえず「ようこそ」ぐらいの感じなんだよね。

育美ちゃんの場合は、先輩ぶって言わせてもらうと俺が「この子いい!」って、合格ってハンコを押したのは、やっぱり『雲の遥か』だね。『雲の遥か』を聞いた時に、あっ、この人は判ってる、合格だな、多分この人は残るだろうなって。

特に『雲の遥か』の2番の歌詞で、<今 僕は夢に迷って 二手に分かれる道の前で 拳をぎゅっと握りしめるけど 逃げたいです くじけそうです>っていうあの感じ。道が二手に分かれてて迷ってる、とても不安になってる歌詞なんて、今までもいっぱいあったけど、そこを絶妙なメロディーとあの言い回しでまとめてるところが、「はい合格!」って。あれは、震災前に書いてた曲だよね?

 

育美  

デビュー前にある程度の曲をストックしておかなきゃいけなくて、その頃に書いてた曲です。『雲の遥か』がいいということはお聞きしたことはありましたけれど、この部分って具体的なことは初めてお聞きしました!

 

 

サトル 

あの曲で、有象無象の中から抜けた感じがした。映画やテレビの主題歌は、周囲の政治力が大きいからアーティストの力量を見るには関係ない。特にデビューしたての子は。それよリ、やっぱり歌詞だね。あとは、それをどういうメロディーに乗せるか。あの曲は俺も好きだし、ああいう曲が書けるのならこの人は大丈夫って……。もちろん自分で書いたんだよね?

 

育美

もちろん(笑)

 

サトル

夏休みの宿題みたいに、お母さんに手伝ってもらってたりして(笑)

 

育美  

ハハハ、当時の私に言ってあげたいですよ。今はこんなに気軽におつきあいさせてもらってるって。サトルさんをテレビで見ていて、青森出身、東北出身で、意識していましたから。こういう方がいるんだというので、目標というか、追いかけてました。こういう日が来るとは、信じられない。

 

サトル 

育美ちゃんは、気仙沼にいたまんまメジャーデビューしてる。そこらへんもなんというか、今っぽいと思う。東京に行かなくてもできるんだっていうのが2010年代。昔から地方の時代って言ってるけど、実際は東京に行かないとどうしようもないというのがそれまでのエンタテインメント業界だったんだけど、レコーディングがテープからデータになって、機材が1/100で買えるようになった時に、「あれ、東京じゃなくていいんじゃないか」という空気が生まれてきた。そこに育美ちゃんみたいに、1回東京には出たけど、地方からオーディションに参加して合格してデビューまでする。今はこういうふうになってんだって。とは言え、気仙沼在住っていうのはすごいよね。三陸道がつながったとはいえ、陸の孤島みたいなとこがあるじゃない、気仙沼って。

 

 

育美  

最初はいつまで続くのかって、言われました。ここに居続けるというのが、唯一のプライドだったのかな。特にデビューしたての頃は、レコード会社がキャンペーンも分刻みでスケジュールを組んでくれて、ありがたかったですね。全国駆け回って。そういえば青森のキャンペーンは、サトルさんにお願いしてびっちりスケジュールを組んでもらいましたよね。

 

サトル 

あの時ね。朝から晩までキャンペーンしていないと、せっかく青森まで来てもらった意味もないから。僕も今、青森に住んでるわけで、地方に拠点を置いて活動している者として育美ちゃんは同志だし、後輩だけど尊敬してる。大事なことは、世界を見ているかどうかということ。どこに住んでいようと関係ない。海外のミュージシャンの新曲なんか聞くと、どうやったらこんな音色で録れるんだろうって気になるし、たどりつけなくても目指したいね。

 

 

育美  

気仙沼に住んでいるけど、リスナーは全国の人に向けて歌っていきたいと思うし、海外の方が日本的なサウンドだなって聞いてくれるかもしれないし……。そういえば、デビュー曲『人待雲』は、たしかカナダからのアクセスが多かったんですよ、わからないものですよね〜。これからも身近な世界も大切にしながら、広い視点で曲を作っていきたいと思います。

 

構成・文:藤川典良 

取材協力:みしおね横丁 TEN(T)PRISM

 

 

 

 

PROFILE

坂本サトル:1967年青森県南部町生まれ。東北大学経済学部中退。大学在学中に、ボーカル&ギターを担当していたロックバンド「JIGGER’S SON(ジガーズサン)のデビューが決定し、91年上京。翌、92年にコロムビアレコードからメジャーデビュー。2001の解散(2012年に活動再開。現在も活動中)までにシングル13枚、アルバム9枚をリリース。1999年、デビューシングル『天使たちの歌』でソロ活動開始。アーティストへの楽曲提供のほか、サウンドプロデューサーとしても伊東洋平、熊谷育美、モモなどの作品に参加。制作した音楽や出演した番組が高い評価を得ており、これまでにギャラクシー賞、日本放送連盟賞、仙台広告賞、日本音楽録音賞最優秀録音賞、等を受賞。多くのラジオレギュラー番組を担当し、現在は4つの番組が放送中。

オフィシャルサイト www.sakamotosatoru.com

 

 

次回(後編)は、歌づくりや新曲の話題等々。ぜひ、楽しみにお待ちください。

 

※熊谷育美 supported by 坂本サトル

 3ヶ月連続配信リリース第一弾
2022年6月15日(水) 配信リリース予定!!

 

■LIVE情報■

 

気仙沼バル2022(5月23日〜5月28日) 

最終日【5月28日(土)】3マンライブ開催 

出演:坂本サトル、熊谷育美、ハイブリッジーズ

 

松島PARK FESTIVAL【5月29日(日)】

松フェスフィナーレ in 松島離宮(18:00〜20:30)

出演:伊東洋平、熊谷育美、吉川忠英、坂本サトル