気仙沼にとって、切っても切れない存在といえば漁師。その漁師の姿を個性的な写真家が捉えた<気仙沼漁師カレンダー>の2022年版では、初めて女性写真家・市橋織江さんを起用。ぜひお話しを聞いてみたいと熊谷育美が、気仙沼で習い事が一緒だった昔からの友だちで現在はフリーアナウンサーの佐藤千晶さん、気仙沼つばき会の根岸えまさんに声をかけ、インタビューが実現しました。
当初はオンライン女子会として企画しましたが、仕事が終わると家でくつろぐ男と違って、何かと家でも忙しいのが女子(笑)。なかなかスケジュールが合わず、今回は3人が持ち寄った質問に対し、市橋さんに答えてもらいました。世界の街や人を、魅力的に映し出してきた市橋さんの目には、漁師や気仙沼はどのように映っていたのでしょうか……。
■女性目線と距離感
漁師さんをはじめ、気仙沼の人と話す機会があったと思うのですが、気仙沼の言葉や表現で分からないなと思った時はありましたか? 気仙沼のことばのニュアンスや音はどんな印象でしたか?
ちょっと考えたんですけど、現地の方と会話をほとんどしていなくて。地元の人と話すのは<気仙沼漁師カレンダー>撮影ディレクターの竹内順平さん(※1)だったり、アシスタントの男の子だったりで、私はひたすら撮ることに集中してしまっていて……。
けれど、言葉は交わしてないんですけど、船に乗るとお鍋にお湯を沸かして温めたコーヒー缶をくださり、小さな心遣いをヒシヒシと感じて、漁師さんってあったかいなと思いました。
市橋さんの撮られた今回のカレンダーを見ていて、漁師さんたちを見守られていたような柔らかな印象を受けました。
撮影の際、漁師さんとの距離感は意識されていましたか?
普段から写真を撮る時には、近すぎず遠すぎず、被写体との絶妙な距離感を保ちたいと意識して写真を撮っています。
今回、夏に撮影させていただいた時に、水揚げしているシーンだったり、実際に漁に出ているシーンだったりとライブ感があって、とても貴重な時間が過ぎていくような意識がありました。だから最初に撮影した夏には、グイグイいかないと撮り逃すんじゃないかという恐怖感がありました。
私の前に撮影された7人の写真を拝見し、決定的瞬間を捉えるイメージがあったので、私もそういうシーンを捉えたいと……。だから夏に気仙沼に行った時は、普段よりもグイグイ押し気味に撮っていました。それを持ち帰って現像しすべての写真を見て、その中から自分がいいと思う50枚ぐらいを焼いたんですけど……。
実際に焼いた写真を改めて並べて見た時に、グイグイいっているものを私は選んでなかったんです。改めて、自分の距離感を保って撮ったものをセレクトしているのを見て、「なるほど、私の距離感はこれなんだな」と認識ができました。だから2回目に冬に行った時は、落ちついて撮影ができました。決定的瞬間を取り逃したらダメだというのは撮っている時は面白くもあったんですが、自分でセレクトしたものはそうではなかった。それで諦めがついたという 笑
今回のカレンダーでは、もちろん海上の写真もありますが陸の写真が多くて、それが女性目線というか、漁から戻った男性を安心して見ているような女性的な視点を感じました。
もちろん、船にはたくさん乗せてもらいました。けれど、陸でも漁師さんを常に探していました。船の上にいると、まわりは海。海の上の写真っていうのは、そこが気仙沼かどうかは関係ないというか……。それよりも、気仙沼の空気を含んだ写真を撮りたいというのが私の中にあって、彼らの生活している場であったり、港だったり船がある場所だったり、そういうものも含んだ空気感のある写真を使いたいなと思っていたんだと思います。
■感じるままに
気仙沼の空気感を含んだ漁師の写真を目指していて、印象に残ったシーン、現場でのやり取りはありますか?
陸で漁師さんを探している時に、表紙の写真がそうですけど、たぶん船の修理をしようとされている方と応援にきている漁師仲間の方達が4−5人いらっしゃって……。ずーっと声をかけずに勝手に写真を撮っていたんですけど、彼らがちょっとカメラを意識している感じで座っているというか。それが何かコントのように面白くて、なんか可愛らしいな〜って思いながら……。それが印象に残っています。
あとは、お参りをしている8月の写真。これもまったく意図せず神社に行って中を見させていただいていたんですけど、その時に来た二人組を竹内さんが、「あれはたぶん漁師さんじゃないかな〜」ということをおっしゃったので、ほんと一回だけシャッターを切った写真。漁師さんかわからないけれども気に入っていたので、カレンダーの候補に入れていたら後でつばき会の方が見てすぐに特定してくれて。しかも、名のあるすごい方だったというのが後で判明して、印象に残っています。
※詳細は、カレンダーをご購入いただき、中の文章でお確かめください。
思いがけず出会えたシーンなんですね。
市橋さんは写真を撮る上で、意識していることはありますか?
私は、事前に撮影場所の知識をまったく入れずポンッと一人で行って、フラフラ街を歩いて写真を撮って、結局まったく知識を持たずに帰ってくる、そういうタイプなんです。その場所に立った時に感じることを、大事にしたいなと思っています。
今回のカレンダーに関しても、どういうものやシーンを、どんな写真を撮りたいとか、カレンダーの仕上がりも含めて、イメージをまったく持たずに行ったんですね。ただ、イメージせず行っても感じたままを撮ることができるし、いいものが撮れるだろうと確信があって。実際に撮ってみて、何も心配いりませんでした 笑
絵画、音楽、文章もそうですけど、つくる過程で作品をじっくり練ることができます。しかし市橋さんは、その場で確認できるデジタルではなくフィルムで撮られていてやり直しができない。フィルムで撮影するうえで、心掛けることはありますか?
無駄に撮ると、いいものが撮れていないのでは?とストレスが溜まり、精神的にすり減るので、仕上がりの写真をイメージして、これだと思ったもの以外は撮らないように私はしています。
とにかく、集中することですね。気仙沼の空気をどれだけ感じられるかと、それを写真として落とし込む純度を上げられるかなので。それには健康で、心も穏やかな状態を保つ、そういう単純なことなんです。あとは、いい写真にする努力を怠らないこと。今回の撮影も船に酔うことなく、集中力を欠かさずに撮影ができたのでよかったと思っていますし、飽きることなくいつまでも撮りたいという感じでした。
フィルムの場合は、撮影後に写真を焼き付ける暗室の作業もあります。その作業も写真の良し悪しに影響しますが、大変でしたか?
暗室の作業は、撮った写真をあらためて客観的な目線で見ながら写真を焼くんです。今回は結構撮ったので、全部で100枚ぐらい焼きました。その時には完全に意識が気仙沼に戻り、焼くのもめちゃくちゃ楽しかったです。
■漁師は美しい
市橋さんにとってはじめての漁師の撮影だと思いますが、撮影前と撮影後では漁師さんに対するイメージは変わりましたか?
やはり生きているものの命を獲る仕事って、すごいなと思いました。ちょっと、想像がつかない世界ですよね。
漁師さんは、すごく厳しい人たちなんだろうなと事前には思っていました。そういう人たちを写真に撮ると、怒鳴られるんじゃないか、気難しい人たち、怖いんだろうなと。真剣な方たちだけに、こちらもそのつもりで挑んでいかないとと思っていたんです。けれど実際にお会いしてみたら、皆さん無口ではあるんですけどすごく人間味があって、優しい。
ただ、どこか人間離れしている、俗物から解き放たれているというか、欲がないように見えるというか……。被写体として、すごく美しいと思いながら撮っていました。今はもう怖いというイメージはまったくなく、優しくて、そして美しい人たち。で、やっぱり男としてカッコいい。世の中の俗物からかけ離れて超越しているだけに、母性本能をくすぐられて守ってあげたいと思える存在である気がします。まっ、お茶目なところも 笑
市橋さんは世界を巡り、いろんな都市を撮影されています。気仙沼と印象が似ている町はありますか?
色々考えてみたんですけど、ブラジルや島国の漁村を思い浮かべてみましたが何か違う。それは、震災にあっているからかなと思いました。町の歴史はもちろんあるんですが、見た目に一度まっさらになっている。そういう意味で、撮影した中から普遍的な写真を選んでいると思います。
それより気仙沼に来て印象に残ったのは、震災にあったとは思えない人のパワー。気仙沼のことが大好き、気仙沼っていい町、漁師さんって誇りだよね。そんなパワーをすごく感じて……。気仙沼漁師カレンダーを企画した、気仙沼つばき会さんがまずそうなんですけど。みんなが町のことを誇りに思っていることがすごく伝わってきました。
■気仙沼と漁師
気仙沼はやはり、海産物がとても新鮮で美味しいですが、気仙沼で食べた料理で印象に残っているものはありますか?
実は、父親の出身地が佐渡島なんです。私も佐渡島に毎年のように行っていたこともあって、父も私も魚で育ったので、魚はすごく好きです。気仙沼で食べた魚介類も本当に美味しかった。けれど一番印象に残っているのは、船の上で食べさせていただいた漁師メシ。その場で捌いて、肝と身をたたいて混ぜたものをご飯と一緒に食べましたが、身がプリプリと弾力がありつつ、肝も混ざっているので濃厚で。初めての体験、感動しました。
あとは、サヨリ漁の撮影で獲ったものをたくさん頂いて、それをえまちゃんのいる鶴亀食堂に持っていきフライにしてもらったのが、すごく美味しかったです!
カレンダーの巻末では、「漁師への憧れが止まらなくなった」と書いていらっしゃいました。もし市橋さんが漁師になるなら、何を獲る漁師になりたいですか?
私は以前、北海道の積丹半島の神威(カムイ)岬というところで、観光写真を撮るお手伝いをしていたことがありました。そこは、まわりに何もないんです。目の前が海で、小さな旅館に半年ぐらい生活していたんですけど、まったく飽きることがなくて。漁師さんみたいな生活はあっているような気がして、漁師さんになれるなと思います 笑
でも、自分なら何漁師かな? 私はひとりで毎に小舟を出して獲る漁がいい。今回見せて頂いた中では、タコ漁師。一人で黙々とやるのがいいですね 笑
写真家/市橋織江さん
1978年東京都生まれ。数々の広告や、アーティストの写真を手掛ける。普段は、MamiyaRZ67を愛用し、一貫してフィルムでの撮影にこだわる。映画『 恋は雨上がりのように 』(主演 小松菜奈、大泉洋)の映像撮影、TVCM などムービーカメラマンとしても活動。主な写真集に『TOWN』、『PARIS』、『Gift』、『BEAUTIFUL DAYS』など。
●千晶→市橋さんへ
夫の竹内順平が、(撮影現場で)市橋さんは一番タフだった!!と話していました。漁師カレンダーの撮影は大変だと常々聞いているのですが、軽やかに鮮やかに素敵な写真を撮っていらっしゃったとのこと。故郷、気仙沼の人や町をあんな風に素敵に魅力的に撮っていただき、ありがとうございます!またお会いできることを楽しみにしています。
佐藤千晶さん
1986年宮城県気仙沼生まれ。熊谷育美とは、学校が同じではないものの習い事が一緒、からのお付き合い。フリーアナウンサー。2021年前期のNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』では、方言やアナウンス指導に携わる。2020年に気仙沼漁師カレンダーの仕掛け人・竹内順平氏と結婚。
●えま→市橋さんへ
港を歩く漁師さんを撮影したいと、さむーい中、漁師さんがいるかもわからない中、大島の浜をずーっと歩き回って撮影できそうな漁師さんを探していた姿に、熱い気持ちを感じました。本当に熱くて素敵な方にやっていただいてよかったなあと思います。見た目は華奢でキリッとしていると思いきや、すごく物腰柔らかく、優しくて、暖かく包んでくれる、そんな印象でした。それが撮影された写真にも表れていて、本当にすてきな方。
根岸えまさん
1991年東京生まれ。東日本大震災のボランティアで気仙沼を訪れ、移住。漁師のために食堂(鶴亀食堂)と銭湯の立ち上げと運営に携わり、現在は漁師の担い手育成にも精力的に取り組む。「気仙沼つばき会」メンバー。2021年、遠洋マグロ船の船長と結婚。
●育美→市橋さんへ
昔、船頭を務めていたことがある我が家の祖父から「女性が船に乗ると神様が嫉妬し不漁になる」との慣わしを小さな頃から伝え聞いていました。 2022年版の漁師カレンダーを初の女性写真家さんが撮影されると知った時からとても楽しみにしていたのです。2022年版・漁師カレンダーを手にし、拝見させていただき、まるでその場にいるかのような臨場感、凛とした空気感、深く、やさしい世界観にうっとりとしました。 特に「空間」と「光」が印象的でした。 ずっと飾っておきたい……、美しい漁師カレンダー、大切にさせていただきます。
【編集後記】
千晶には「インタビューに同席したら?」と言われましたが、「おしょすくてダメだてば!」と返しました 笑。
市橋さんに実際にお目にかかる機会があるとしたら、ファインダーを覗いてる瞳に見つめられてることがきっと、とても恥ずかしい気持ちになってしまうような気がして……。
ぜひ、また気仙沼にお越しの際はご挨拶させていただけたら嬉しいです。
お聞きしたかった制作秘話、貴重なお話しをありがとうございました。
※おしょすくて=恥ずかしくて
<気仙沼漁師カレンダー>
気仙沼の産業と観光を支える海で生きる男たちにスポットを当て、そのかっこよさを全国の方々に知ってほしいと、気仙沼の魅力発信に精力的に取り組む女性の集い<気仙沼つばき会>が企画。これまで名だたる写真家が撮影し、」2014年度版から2021年版まで、「全国カレンダー展」において「経済産業大臣賞」など様々な賞を受賞。2022年版は、気仙沼漁師カレンダー史上初となる女性写真家による撮影が実現。またもや「全国カレンダー展」で「経済産業大臣賞」に輝いた。
月毎に漁師について記された読むカレンダーは月が過ぎても見返せ、気仙沼愛に溢れている。
※1 竹内順平さん
1989年生まれ。気仙沼漁師カレンダーの企画に携わり、プロデューサーや撮影ディレクションと全体の進行役を担う。
株式会社バンプーカット代表取締役。梅干しプロデューサーとして『立ち喰い梅干し屋』(東京ソラマチ)に店舗、オンラインストアでも各地の梅干しの魅力を発信している。
気仙沼漁師カレンダー2022のお申し込みは下記サイトから
構成・インタビュー・文:藤川典良