気仙沼は、生鮮かつおの水揚げが28年連続1位。現在のかつお漁法である「溜め釣り(一本釣り)漁」が気仙沼に伝わったのは1675年(延宝3年)で、今年は溜め釣り漁伝来から350年。紀州の三輪崎町(現・和歌山県新宮市)から伝わったとされています。
紀州沿岸東部や高知西南地域の漁船の入出港を支える気仙沼の廻船問屋・小野健商店社長の小野寺健蔵さんに、廻船問屋のお仕事、溜め釣り漁についてお聞きしました。お宝満載の蔵も見せていただきましたよ!
■困った時は廻船問屋に
小野寺 廻船問屋の歴史は古く、漁業者に資金を融資する銀行のような役割も担っていました。その頃はまだ魚市場がなかったので(気仙沼市魚市場は1935年開設)、廻船問屋が市場の役割もしていたんです。歴史ある問屋も多く、北海道から沖縄まで小さい船の船主の財産や家族の信頼をお預かりしてきたんです。だから今でも、事故や怪我人が出た時には、我々問屋に連絡が入ります。表にはあまり出ないけれど、陸で船主の仕事の代わりをやっているんです。
育美 困ったことがあったら全部、廻船問屋さんを頼っているんですね。今、問屋さんは何軒くらいあるんですか?
小野寺 昭和31年(1956)に魚市場が現在の場所に移って、東洋一の魚市場だといわれた頃には55軒あったんですが、今は16軒です。育美さんが先程おっしゃたように、気仙沼に行ったら廻船問屋がなんでもしてくれるんだという信用があったので、今でも私たちを含め問屋さんは漁師さんのために頑張っています。
育美 その信用があったからこそ、船頭さんが変わっても、長く長く信頼ある関係が引き継がれてるんですね。
小野寺 今でも高知のかつお漁船との関係は、約100年を超えてるんです。その高知のかつお一本釣り漁船が、新しい船をみらい造船(気仙沼の造船所)に依頼し、先日の5月23日に進水式が行われましたよ。その会社との付き合いは、ずっと続いています。
育美 ものすごい歴史ですね。
■紀州から伝わる漁法、造船技術
育美 今年はかつお溜め釣り漁伝来350年ということで、市内にはたくさんポスターも掲示されています。溜め釣り漁伝来の経緯について、教えていただけますか?
小野寺 紀州の熊野信仰を伝承するために、熊野信者の方達が全国に発信していました。養老2年(716)ごろ、唐桑に熊野本宮の分霊である神輿は奉祀されています。それから1000年近く時を経た延宝3年(1675)、紀州の一本釣り漁船5隻が金華山沖で短時間に大量のかつおを獲ったことを聞いた唐桑の勘右衛門さんは、石巻に行って漁法の伝授を申し込んだそうです。
紀州の漁師は勘右衛門の申し出を受け、唐桑鮪立浜で投錨。勘右衛門方にお世話になり、かつおの溜め釣りを伝授することになりました。
その頃の唐桑の人たちは、かつおを一匹づつ釣っていましたが、紀州の漁師は生餌を撒いてかつおを一つの場所に集めて釣り上げるので、すぐに船がいっぱいになるほど釣れました。それを見た唐桑の人は驚いて、自分たちも学ぼうということで、溜め釣り漁が始まったそうです。
中には反対する人も出たようで、他国の者がやってきて大量に釣り上げては食料事情も悪化するから紀州者を追放し、この釣り方は禁止してほしいとお役所に訴状も残されています。紀州の漁師をお世話していた勘右衛門は、多額の水揚げが期待できる紀州流溜め釣りで漁獲高を増加させたいと、反対派の意見を退けました。それから溜め釣り漁は藩も奨励する漁法として、今に伝わっています。
小野寺 その頃の唐桑の船はまだ小さくて、波の高い沖には船を出せなかったんですが、紀州は林業も盛んで、造船技術も優れていた。だから、沖に出ることができる船を造ることができました。けれどその頃は自分の山でも藩の許可なく木材を伐採することができない決まりがありましたが、勘右衛門は新造船に必要な木材の嘆願書も提出し、溜め釣り漁が本格的にスタートすることになりました。
また、獲れたかつおはすぐに節(鰹節)に加工されましたが、この技術もその時に伝授されています。
今では気仙沼の内湾が漁業の中心ですが、唐桑町は優秀な船頭と船員がいる日本有数の遠洋漁業の基地だったんです。
育美 漁法だけでなく、造船技術や鰹節の作り方も伝わってきたのですね。反対を跳ね返して、新しいことを取り入れた勘右衛門さんはすごい人ですね。
小野寺 最初は唐桑から始まって、やがては気仙沼の人たちも知恵を借りるようになります。そして、漁業も変わり、やがては大きくなっていったんです。唐桑の漁民が、経済的に大きな役割を果たしたのは間違いないですね。
育美 生鮮かつおの水揚げは28年連続1位で、溜め釣り漁の歴史が350年! 気仙沼とかつおは本当に切り離せないものなんだなーって、改めて感じています。
小野寺 南の船は黒潮に乗ってかつおを追いかけてきて、それを水揚げする港は昭和の初めには青森から関東地区までの間に10箇所以上あったんです。気仙沼の何が一番良かったかっていうと、餌のカタクチイワシが広田湾や志津川などいっぱい獲れたんです。
育美 すごい素人の質問で申し訳ないんですけど、イワシは弱りやすいので鮮度の良い状態で餌にするんですよね。
小野寺 イワシは漢字で、魚偏に弱って書くっちゃ。水がきれいじゃないといけない、常に泳いでないと死んじゃう。魚って、人が触ると火傷するんですよ。魚がヌメヌメしてるでしょ?菌から体を守るためにヌメリがあって、我々は素手で触るけど、魚は人間の体温で触ったらヤケドのような状態になる。
育美 考えたことなかった。
■気仙沼のおもてなし
小野寺 昔は、どこの問屋も自分のうちに銭湯あったから、お風呂入れて食事を出して、大広間さ寝せて、漁に出る時にお酒や食事を積んたげてさ。それをそれぞれの問屋でもやって……。同じようなことが、飲食店やどこでもやってますよね。
気仙沼は、魚市場、廻船問屋、仲買、冷蔵、函屋に氷屋、トラック業者、そして大事なのは船を治す造船業、機械屋さん。怪我人が出た時の病院、食料の調達。全部揃ってるのが気仙沼だったんです。
育美 それってやっぱり地元の皆さんも本当に努力されたでしょうね。お出迎えするもてなしの気持ちって、すごく皆さんあるじゃないですか。「気仙沼の港に入っていただいてからには」という心がけはいつも皆さん持っていますよね。
毎年、かつお漁が始まれば、「おかえり」「ただいま」って。「今年もかつお獲れたぞ」って、持ってきてくれたり。毎年いろんなドラマがあるでしょうね。
小野寺 最後は人間の情なんだよね。積み重なっていくことが、お互いの信頼っていうかね。船頭さんに気に入ってもらうように、魚市場も問屋も飲食店さんも頑張ったと思います。その結果です。
育美 気仙沼は素晴らしい町だと、自分が生まれた町ながら本当に思いますね。先人の人たちがここまでにしてくれた町だから、大事に伝えていかないとね。今年1月に公開された菅田将暉さん主演の映画『サンセットサンライズ』でも、“ハーモニカ”(メカジキの背びれの付け根部分)や“もうかの星”(モウカザメの心臓)を食べろ食べろって勧められた主人公が「もてなしハラスメントっすわ」って(笑)。そういう魅力も、気仙沼にあるんだなあっていうのを感じました。私もだけど、お客さんが来ると無意識に張り切っちゃうんですよね、これも食べて食べて!って。もう無理って時は、遠慮なく言ってください(笑)
小野寺 結局、28年連続日本一はみんなが集結した結果であって、やっぱり“継続は力”なんですよね。かつおに関しては水揚げも速いんですよ。800トンの水揚げが午前中で終わっちゃうんですから。魚市場の職員も表に出てこないけど、本当に汗水たらして働いている。ここの魚市場は、すごい魅力あるんだから。
育美 すごいなぁ。皆さんとても丁寧な仕事をしていらっしゃることや、人への思いやりや心使い、気仙沼の心意気みたいなところを感じました。それぞれの分野のプロフェッショナルな皆さんが継続し続けてくれたからこそなんですね。だから気仙沼のファンになって、遠く宮崎や高知からも船も来てくれるんですね!
参考文献:「唐桑町史」(発行:唐桑町役場)
「古里零れ話 唐桑史談」
協力/気仙沼市産業部水産課
撮影/スタジオアート
構成・文/藤川典良
蔵の中には、気仙沼に寄港した全国の漁師さんから頂いたという各地の神様の像、今も動くという幾つもの柱時計。指し樽や今も鳴らすことができる霧笛まで、実に綺麗な状態で展示。展示品名はすべて小野寺さんの自筆です。歴史ある展示物の数々をぜひ、機会があればご覧ください。
※通常公開はございません。蔵の見学希望の方は、事前に小野健商店までご連絡を。
(有)小野健商店:1916年(大正5年)創業。廻船魚問屋業、鮮魚仲買業、水産加工業。
所在地:宮城県気仙沼市南町1丁目3−14
TEL:0226-22-3134 (午前10時〜午後4時)
第9回 気仙沼かつお祭り2025
「かつお溜め釣り漁伝来350年」で、例年よりさらに活気づく気仙沼で、今年も「気仙沼かつお祭り」が開催されます!
2025年7月1日(火)〜7月31日(木)の期間、市内各所で、かつお三昧。
かつおを買って、かつおが当たるキャンペーンもありますよ!!!
急告 7月19日(土)
【かつお わら焼き お振舞】
11:00/14:00の2回 海の市西側駐車場 各先着200名様
■気仙沼の観光情報はこちら!■